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◆本名は吉田武。”ジャンクハンター吉田”名義で映画やゲームのコラムニストとして執筆しながら、本名では交通ジャーナリストとして交通違反や交通事故激減を目指し活動中。1970年11月5日生まれ。東京都北区西が丘の6畳+4畳半の風呂なし木造アパートにて父母兄との4人で生活。7歳の頃に両親が離婚。と同時に自力で生活できるようにと出稼ぎで不在がちの父親から料理のイロハや生活の知恵などを徹底的に学び、小学二年生から五年生までほぼ独り暮らしのような経験を積む。

外で寝る時のアドバイスやら食料に困った時の知恵といった数々のサバイバル体験など小学生では決して味わえない貴重な4年間ではあったが、離婚した母親と父親はよりを戻し再婚し普通の生活へ戻る。風呂なし木造アパートに4人暮らしという貧しい家庭環境だったこともあり、早く独立して仕事をし、自力で生活したいと小学六年生の頃から抱き始め、小学一年生からの夢であった漫画家になることを誓い、手塚治虫先生のもとへ足繁く通う(御本人は面倒な扱いしてましたが)。

中学一年生の夏頃まで漫画家の夢を抱いてはいたが、身長が伸び始めると同時に身体付きも見る見る大きくなっていったことで漫画家になる道で果たして良いのかどうか迷い始める。そのタイミングで後楽園ホールで開催される全日本プロレスの試合の招待券を頂戴し、ジャンボ鶴田選手の大きさと戦いを間近で観てプロレスラーになることを決意。

そこから独りで黙々とトレーニングを人知れず行なうようになり、中学三年生の夏休みも終わる頃、プロレス専門誌を読んでいたら”新人レスラー募集”の記事を見つけ、当時プロレスラーになって早くお金が稼げるようになるのだったらどこの団体でも構わない気持ちから新日本プロレスの道場へ。友人や家族にも内緒で入門テストを受けに行くと「中学生だし、身長も180cmに5cmも足りてない!」とあしらわれ門前払いされる。ちなみに入門テストを受ける条件は16歳以上、身長180cm以上でした……。

高校へ進学するための受験勉強は一切しておらず、選択肢もなくなり途方に暮れるしかないところへ担任の先生から「定時制高校という選択肢があるのだが受けてみる気はあるか?」との誘いが来る。定時制高校の意味が当時分からず、昼仕事して夜学校で勉強することを知り、定時制高校へ通ってしまったら自由な時間は確実に減り、完全に自分の青春はなくなると危惧。しかし選択肢を担任の先生から与えられてしまったことで青春と引き換えに勤労という働いてお金を稼ぐほうを選ぶ。

昼間の高校生活と違い3年間ではなく、4年間も夜間に高校へ通って昼間は仕事をして自分自身の生活を支えなければならない。そして働いたお金を生活に困窮していた自宅へも入れなければならない。19歳までは確実に自分の青春が失うわけで、成人になった20歳から遅咲きの青春を謳歌しようと決めたら仕事三昧の4年間、そして夜の高校生活も耐えられるようになり、幾多のバイトを掛け持ちして15歳の頃から高収入を得る。

北赤羽にあった雪印の冷凍庫内作業バイトから始まり、麹町の出版社でゲーム雑誌編集補助のバイト、神奈川県海老名にあったゲームメーカーにてテストプレイヤーとしてのバイト、板橋区内にあった出版取次での雑誌仕分け作業のバイト、秋葉原のお茶屋の店舗での配送バイト、バイク便運営会社でのバイク及び軽自動車での運送業務など、4年間で山ほど休みもほぼなく働きづくし。

この定時制高校生活の4年の間に身長も180cmを超え、プロレスラーとして入門テストを受けられる条件はできた……が、バイクの楽しさを覚え、それと同じく17歳の頃に『ロボコップ』なるハリウッド映画に影響を受けたことから白バイ警官になりたいという願望が芽生える。

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