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ヒストリー

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◆亡くなった父親が神戸出身で淀川先生も偶然神戸出身ということが私には父親の影を勝手にオーバーラップしてしまう要因だったのだが、父親も映画の観方などを教えてくれ、淀川先生はそれ以上に厳しく「映画を仕事と捉えるんならばもっと勉強しろ」と口酸っぱく言われていた。会社を辞める話は半年以上前から淀川先生へ相談して決めており、退職した直後の9月上旬に全日空ホテルへ電話するも体調が優れていないらしくスイートルームに繋いでもらえず……。それから一週間後に再び連絡すると淀川先生と電話で話すことができ、フリーランスになったことを報告。半年以上お会いしていなかったため、全日空ホテルへ伺うことを告げると「来るな」と拒絶される。「俺は親友の黒澤明がこないだ亡くなってしまってからずーっとショックを受けていてな、なるべく人に会いたくないんだよ。

俺もいつ死ぬか分からんし、体調が悪くなり車椅子生活になってしまったことで弱々しい姿を散々威張り散らしていたお前に見せたくないしな」と。淀川先生は私と父親の話を知っているからか「俺はもうすぐ死ぬかもしれないけど、死んだらお前は通夜にも葬式にも来るな。そして絶対俺が亡くなっても泣くんじゃないぞ。お前の心の中で生き続けるから泣かれた段階で俺の魂は消える。約束だからな!」この10分ほどの電話を最期に淀川先生は2カ月ほどしたら心不全で他界してしまう……。48年間生きてきて、私はこの時に電話を切った直後、全日空ホテルへ無理矢理にでも行ってお会いするべきだったという決断ができなかったことを一生悔やむことになったんです。後にも先にも踏み止まってしまったことで失敗した決断力の無さ、いや判断力の欠如はこの時を教訓に以後は”思い立ったら行動、そして実行”を徹底して生きていく決意が生まれました。

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